先週、新元号『令和』が発表され、いよいよ平成の終わりも現実味を帯びてきました。
元号に関しては私個人的にはあり続けてほしいと考えますが、その非合理性から廃止論も一部で見受けられます。
これに対して、保守を名乗る人は「天皇制を否定するな」とつっこみますが、私は「そういうあなたたちは保守といえるの?」と問いたいです。
というのは、戦後日本は『アメリカ天皇制』であって、戦前までの天皇制とは似て非なるからです。
1945年、日本は第二次大戦でアメリカをはじめとする連合国軍に敗北し、まもなくして連合国軍の最高司令官であるマッカーサーと天皇の会談の場が設けられました。
握手をした天皇の手は震えていたそうですが、その口から出たのは命乞いではなく、自らを国民の『身代わり』とする覚悟だったといいます。
マッカーサーはそこに目をつけ、天皇をより良い統治を行うための道具として利用することを考えたのです。
天皇を戦犯としようものなら、それは日本人のアイデンティティを刺激することになりかねず、日本の統治を難しくしてしまいます。
そして何よりも、日本海を隔てた北には敵国の社会主義国ソ連があり、反米感情が広がれば日本人は内外の共産主義者と結託し、日本が『赤化』する危険性がありました。
何はともあれ、会談によって天皇制は廃止されずに済みましたが、皇籍離脱などからも判るように、アメリカとしては皇族を弱体化させ、最終的には血統断絶を目論んでいたとしても言い過ぎではないでしょう。
今では彼らの国が沖縄で軍事基地を広げようが何をしようが、保守の多くは安全保障政策なんかを理由にあげつつ、常にアメリカ側の味方について沖縄を叩きます。
保守ではない私でも、アメリカにべったりの保守層を見ていて、「これが心(真)の敗戦か…」と情けなく思います。
国の象徴として天皇がいるわけですが、その上にアメリカがいるというのが戦後日本の天皇制なのです。
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