はじめにことわっておくと、私は神道をあまり好きではないし神社にも行かないが、特定の宗教を信仰しているわけではない。
今日、ある野球選手の遺族がその亡骸の写真を投稿したことについて、Twitterで話題になっていた。
世間では、たとえ遺族が葬儀で遺体を撮影するのもモラルに反することになるらしい。
しかし、YouTubeなどで葬儀関連の動画を観ると分かるが、海外では遺体を映すことについて問題になることはない。
この違いの理由は、モラルの有無ではなく宗教にある。
神道では「死」を穢れとして忌避するのは知られているが、無宗教を自称する多くの日本人にもそれが無自覚に受け継がれているのである。
また、そうした神道の教えは現代日本に合っていないといえる。
「死」を忌避するため、たとえば生前に遺言書を書くことさえ、「死を連想するから」とはばかられるのである。
資本主義社会では、資産を誰に相続するのかは重要な事柄だが、日本では前述の宗教的な制約によってそれが中々できない。
そして最も恐ろしいのは、自身を無宗教をする日本人にも、こうした宗教の教えが無意識の中にあるという気持ち悪さだ。
遺体を撮影した遺族を批判する人たちは、モラル云々を言う以前に、自身を神道の信者と自覚する必要がある。
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