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執筆者の写真KAGAWA 2

日本文化の多様性

ちょうど先週のことになりますが、この写真は私が都心の方に用事があった帰りに明治神宮を撮ったものです。

目的もなく土地勘もない代々木駅を降りてしばらく徘徊していたところ、偶然そこに辿り着いたのです。

明治神宮にはたくさんの観光客や外国人が写真を撮っていました。

彼らからすれば、多神教の宗教に違和感を覚えることも少なくないでしょう。

今回は宗教的な観点から見た日本文化の多様性について考えていきたいと思います。


神社や神道で個人的に真っ先に思い浮かぶのが神仏混淆です。

古来の日本では例えば神社に仏像があったり、「神宮寺」という寺院が各地にあることからも分かるように寺院に御札があるのが普通であり、それが神仏混淆という文化だったのです。

ところが、開国によって日本はあらゆる面で近代化を図る必要が出ました。

近代化とはすなわち西欧化なので、明治政府は西欧の一神教のキリスト教のような絶対的価値観を模倣することを試みました。

そこで政府は仏教よりも日本的な神道を重んじた国家神道という概念を取り入れ、天皇を現人神としました。

また、国民を仏教の寺院や仏像を破壊の対象とする廃仏毀釈へと動かしました。


国家神道は、日本に持ち込まれた初の原理主義的な思想といっても言い過ぎではないと思います。

更にいえば、国家神道には原理主義的思想の他に全体主義的思想が入っています。

後者がどこから来たのかというと、これは仏教から来ています。

仏教の開祖はインドの釈迦ですが、中国や朝鮮に普及した過程で集団を重んじる儒教的価値観が流入し、それが日本に伝わったことで今度は神仏混淆が興ったのです。

すなわち廃仏毀釈を掲げながら、その理念や行動自体が日本仏教の価値観が活きていて、廃仏はなされていなかったと考えることができます。


国家神道自体は敗戦および天皇の人間宣言によって終わりを迎えましたが、その思想は国民性として今も活き続けています。

天然資源の乏しいこの国にあって、集団主義的思想によって今の経済大国があるのは紛れもない事実です。

しかしながら、成熟社会を迎えた現在において、私たちは今一度考えてみるべきではないでしょうか。

果たして「長いものに巻かれる自分」、「人目を気にしすぎる自分」で良いのでしょうか?

明治神宮へ導かれた私は、「本来、日本の文化は多様である」というとを天によって教えられた感じがしました。


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