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執筆者の写真KAGAWA 2

私の生い立ちについて(高校時代)

前回の中学時代に引き続き、高校時代のことを書いていきたいと思います。


中学の卒業式が終わって間もなく、私は引っ越しの準備に追われていました。

自宅からの通学は大変ということで、両親が高校の近くのアパートを借りてくれたのです。

近くといっても、高校まで電車で10分ほどかかる場所にあり、部屋は予想していたよりも狭く、お世辞にも住みやすいとはいえませんでした。

ただ、当時の私は家族との暮らしを窮屈に感じていましたから、一人で生活できることを嬉しく思っていました。


4月になり、いよいよ始まる高校生活に胸を躍らせていました。

そして、高校の入学式で初めてクラスメイトと顔を合わせたわけですが、やはり体育会系の生徒が多い印象を受けました。

このことは既に分かっていたことなので、ある種の諦めはついていたのですが、それ以上に驚いたのは校則の異常な厳しさです。

例をあげると、ワイシャツの第一ボタンを外していただけでも厳重注意で、それを何度か繰り返すと停学になるほどでした。

思い描いていた理想は崩れ去り、後悔の中で私の高校生活は始まりました。

自分のレベルよりも下位の高校だったので、勉強はそれなりにできましたが、校風やクラスメイトとはそりが合いませんでした。

特にサッカー部の部員は何かにつけて私に対してぶつかったり妨害したりといった嫌がらせをしてきました。

当時から小柄で痩せ型の私をストレス解消に使いたかったのでしょう。


学校が終わった後は、少し離れた繁華街で一人ぶらついてはマクドナルドで小腹を満たすという毎日を送っていましたが、ある日、その帰りに発作が久しぶりに現れたのです。

丁度ラッシュの時間帯で混雑し、乗っていたのは急行でしばらくドアが開かないという悪条件が重なって、発作が出たのでしょう。

その後も何度が発作が起こりましたが、なんとか自力で抑え、あれから現在に至るまで大きな発作は起こっていません。

既にその頃には薬はもちろん、病院にも通っていませんでしたが、自分なりの対処法で発作を抑えることができると分かったのです。


そんな私でも上辺だけの友達や彼女はできましたが、「なぜ私の周りには自分の好きではない人しかいないのだろう」と疑問に思うようになりました。

私自身、好きな人は今までたくさんいましたが、よくよく考えてみると、その人が私を好きになってほしいとはあまり思わないのです。

ですので、告白をしたいと思ったこともなければ、なぜするのかも理解できないというのが本音です。

これは恋愛関係以外でも同じで、好きな人や尊敬している人が自分を好意的に見てくると嬉しい半面、どこか萎えてしまうのです。

最近になって、それはリスロマンティック (Lithromantic) という性的指向であることが分かりました。

とはいえ、自分の違いをまだ理解できず、そして受け入れられずにいた高校時代でした。

長くなってしまいそうなので、ここで終わりにします。


つづく


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