前回の続きとして高校時代のことを書こうと思っていましたが、ここでは長くなりそうな中学時代の続きを書いていきます。
というのも、中学3年の1年間は、それまでの私には想像もつかなかったであろうほどの不可思議な事態が起き続けたのです。
6月に修学旅行で京都のホテルに泊まったのですが、その夜に大きな出来事がありました。
ベッドで寝ていると突然、ありえないほど高い心拍数とともに身体が無意識に起き上がったり倒れたりを繰り返したのです。
更に呼吸も早く苦しくなったので、これはおかしいと思い救急車をお願いしようとするも、そのような状態では声も出ないですし、隣のベッドで寝ている相手はこちらに気付いていませんでした。
ベッドの横にうつ伏せになる形で倒れ、「まだ死にたくない!まだやりたいことがある!」と思い続けながら苦しみに悶ていました。
当時の自分は何事にも無気力で、どこか世間をシラけた目で見ていました。
また、親族の死は何度か観てきたので、「死」を知った気になっていたのですが、実際に自分がそれに直面すると恐怖以外に何の感情も沸かないのだと解りました。
ここで初めて「死」を意識したことになります。
気を失ったようで、目が醒めると普通に呼吸ができました。
それだけでも感謝や感激といった歓喜の感情が溢れ、この時に初めて「生」を意識しました。
そして夏休み。
私は突如患った精神病によって、受験勉強に手を付けることが難しくなりました。
それどころか、発作の恐怖から食事や水を飲み込むことさえままならなくなり、死の恐怖に絶えず怯え続けていました。
とはいえ、夏休みはすぐに終わり、いよいよ学校に通わなければなりません。
授業をじっと聞くのも一苦労で、1時間目の授業が終わった途端に学校を抜け出してしまうこともありました。
当然、給食は食べられずにほとんど残していましたが、昔の学校のように完食が強制されていたらと考えると、ゆとり世代で良かったと心から思います。 笑
処方されたデパケンという薬を寝る前に服用していましたが、症状は一月ごとに一進一退を繰り返していた記憶があります。
前述の通り、受験勉強が難しい状態だったので、高校には推薦で入学することにしました。
志望校は家から電車で1時間以上かかる、都内の偏差値50前半の私立高校です。
何故わざわざ遠くの高校にしたのかというと、「自分は周りの田舎者とは違う」というような、今思えば選民思想のようなものが根底にあったのです。
また、中学2年でドロップアウトした経験から、反骨精神が人一倍大きかったのでしょう。
高校入試は面接と小論文で、後者はその当時起こったハイチ地震のことを書いた気がします。
推薦ということもあって無事合格し、1月末からは卒業式の練習に出る程度で、学校にもあまり行かずにのんびりと過ごしていました。
卒業式は練習通りに終わりましたが、冷たい暴風雨が降りしきっており、惜別の情に浸る間もなく家路を急ぎました。
つづく
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